よもやま話

ようやく脱マスク|春に向けて、コロナ禍で得たこと

長かったマスク生活がようやく終焉を迎えつつあります。

いろんな意見が飛び交ったコロナ禍。感染症そのものの怖さより、人が生み出す圧力の方がこわかった3年間だったなと感じます。

年々、時が経つスピードが加速していて、振り返ると「ついこの間」の3年前ですが、子どもや若者たちにとってはそうではないですよね。

こんなことはもう起きてほしくないけど、よくわからない情報に振り回されるという状況は、有事の時にはよく起きるのかもしれません。

「何を信じるか」よりも「誰を信じるか」 

誰かを妄信するのは違うと思うけど、テレビでやってたから、ニュースで言ってたから、はもっと違うと感じたコロナ禍について書きました。

コロナ禍で蘇った放射線問題

今回のコロナ禍は、12年前の震災後に騒がれた「放射線問題」とかぶることが多くて、初めて経験するパンデミックだけど、どこかデジャブのような感じもしています。

震災当時、私は千葉県の流山市に住んでいたのですが、柏・流山あたりは、他よりも放射線量が高いホットスポットとされ、保育園の対応や街の除染問題等がずいぶん騒がれました。

ちょうどコロナの感染者数が報道されるのと同じように、放射線量なるものが毎日の新聞に載るようになり、食材の風評もすごかったですね。

東北の食材にとどまらず、大陸からの放射線を浴びているから九州もダメとか、日本の水も危ないとか、まぁいろんな情報が飛び交っていました。

保育園の外遊びがなくなり、庭の土を入れ替えたり、子どもも一日中マスクを着けたり、食材を心配する家庭では給食NGでお弁当を持たせたり、関東よりも西に引っ越すという方もいました。お父さんは長野から新幹線通勤、とか。

不安を煽るようなニュースばかりで心配にはなるけれど、何が本当かはわからなくて、振り返るとひどいカオスでしたね。

何を信じるか < 誰を信じるか

そんな中、勤務先で産業医の先生のお話を聞く機会がありました。

移住する人まで出る騒ぎをドクターとしてどう捉えているか。これがすごくわかりやすくて、わだかまりがスーッと消えていったことを覚えています。

結論は

「誰も経験したことがない事態だから、正解は(今は)わからない。だけど、今ある科学的情報から見て、レントゲンや飛行機に乗った時に被爆することと照らしても、ホットスポットだからといって極端に怖がるレベルではないよ。放射線はもともと自然界にあるものだし、一度に大量に浴びたわけではないから、そこまで心配しなくても大丈夫でしょう。」

という、めちゃ冷静な見解でした。

専門家的には当たり前かもしれないし、「言われてみればたしかにそうか、納得」なのだけど、テレビなどでは意外と取り上げられない、ごく正当な意見が、情報カオスの迷える子羊を救ってくれました。

いつからか放射線量の欄はなくなり、人々の興味もすっかり薄れた昨今。あれだけ騒がれたのに、真相はどうでもよくなった感が人間らしいところですが、あの時の先生には今も感謝しています。

バイバイ、マスク

時は流れて、コロナ禍の様々な不安と、煽り気味に流される情報を見聞きするたび、このことを思い出しました。

12年前に比べて物事をより斜めに見る癖がついてしまったかもしれませんが、大人の事情満載のコロナ対策には、ことさらに恐怖を煽ったり、しょーもないことも多かったように思います。

体育でもマスクとか、給食は前を向いて黙って食べなさいとか。

感染の可能性は一定わかるけど、若者の限りある時間がずいぶん犠牲になったことは本当に気の毒です。この春からは全力で謳歌してほしいと願っています。

もうすぐセンバツが始まります。

桑田・清原に熱狂し、ゴジラ松井(同い年)、怪物松坂、ダルビッシュ、田中まーくんと、小学生の頃から、完全お母さん目線の現在まで、高校野球が大好きで必ず観ているのですが、昨年とうとう仙台に優勝旗がやって来ました。

監督の「青春ってすごく密なので」が話題になりましたが、この言葉は青春を終えた大人にもぐっときました。 この春は、声援ありの本来の甲子園、とても楽しみです。

新型コロナに苦しんだ一方で、本気でリモート化が進み、「会社に行かずとも仕事ができる」というすごい変化もありましたね。

その昔、多くの会社は土曜日も営業している時代から働いている身からすると、いまだに少しだけ違和感がありますが、便利になったので、仕事ではちゃっかりフル活用しています。

今後も、ご相談は基本オンラインでの面談とさせていただきます。

まだしばらくは制限が続きますし、花粉症で外せない方もいるでしょうけれど、花粉が落ち着く頃には完全ノーマスクで軽やかに過ごせるといいなーと思っています。